和物茶碗とは

陶芸の茶の湯(6)

 こんにちは、けいみるるです。

 今回は和物茶碗とはについてです。

 

和物茶碗の志野茶碗

 和物茶碗は日本の焼物です。

 唐物茶碗と高麗茶碗と対比して作られました。

 和物茶碗とはについて詳しく書いていきます。

和物茶碗とは

 桃山時代に千利休によって侘び茶が大成されると高麗茶碗に続いて和物が、用いられるようになりました。

 江戸時代は全国で焼かれていました。

 和物茶碗は日本の茶の湯のために焼かれたものです。

 時代や地域によって違いがあるのが特徴です。

 

 16世紀では陰の存在でした。

 それを打ち破ったのが千利休です。

 天正14年(1586)長次郎という人に焼かせたのが「楽茶碗」です。

 

 宗易形茶碗が今のところ楽茶碗だとのことです。

 同時期に、瀬戸黒茶碗と、瀬戸焼の白茶碗が世にでます。

 これが美濃焼の瀬戸黒であって志野焼であっと、されます。

 

 椀型から腰折れ茶碗、そして半筒形茶碗へと変化していきます。

 これが、楽焼・瀬戸黒焼・志野に共通するところです。

 楽焼と瀬戸黒焼は共に窯の中から引き出して、真っ黒に仕上げる技法も共通しています。

 

 美濃焼は瀬戸黒焼の茶碗と志野焼は造形意欲があり高台を含め一作一作の、変化を付けられています。

 絵付も加えることも新しい技法です。

 高台を含めて一作品同じものは作らない、芸術意欲を貫いています。

 この点では唐物茶碗や高麗茶碗とはっきり一線を画す、独自の領域を確率しています。

 

 黄瀬戸は食器が中心で茶碗としては銘「朝比奈」と言われる、名品一作だけです。

 織部の茶碗は、瀬戸黒の茶碗の延長線上にあります。

 沓茶碗(くつちゃわん)に代表されます。

 

 形を楕円形に作り口付を外に開いて、デコボコした道のような口作りをしました。

 絵付をしたり、ヘラで洋芋を掻き取ります。

 志野焼の釉薬を掛けて蛇蝎釉(じゃかつゆう)にします。

 これが織部焼でした。

 

 黒一色の茶碗を織部黒、絵付が入ったものは黒織部と区別して呼びました。

 唐津焼は朝鮮半島の陶工が、円形で腰の丸い椀形の碗です。

 古典的な碗で、俗に奥高麗と呼ばれるものが中心にあります。

 

 しかし高麗茶碗との区別は容易にできて、唐津焼は朝鮮陶との区別は難しくはありません。

 釉薬は朝陶と同じ長石釉を使っていて、古格は守っています。

 唐津焼には、わら灰を使った斑唐津も若干はいっています。

 文様を彫った彫唐津と、呼ばれるものもあります。

 美濃焼の絵志野を参考にした茶碗です。

 絵唐津の茶碗は、織部茶碗と同じ沓形の造形鉄絵を加えたものです。

 慶長年間を象徴する茶碗となっています。

 瀬戸唐津と呼ばれる白釉の掛かった、唐津茶碗は志野釉を掛けた、白釉茶碗の意味です。

 萩焼は、高麗茶碗を参考にした作品と半筒状の瀬戸黒と、同系列の造形的作品に分かれています。

 高麗茶碗風が主役のようです。

 

 萩焼は高い評価を受けていいます。

 「一楽・二萩・三唐津」と言う言葉が20世紀くらい前から作られたほど、この名を高めました。

 わら灰と長石釉をもって作られた萩焼の茶碗で、古格の慶長から元和の、桃山様式のものに出会うことはほとんどないようです。

 

 多くの萩茶碗は華奢につくられていて高麗茶碗が参考になっていますが、特徴のある個性的な焼成の強い、茶碗ではありません。

 やや名前が先行しているのが、萩焼です。

 

以上が、和物茶碗でした。


 まとめ

 和物茶碗は日本の茶碗です。

 茶碗の多くは、千利休好みの素朴で味わいのある、作風が多く、「わび、さび」を重んじる侘び茶に、合っています。

 織部焼は、千利休の弟子である古田織部が好んでいまいした。 

 茶碗には、それぞれ異なった特徴と魅力がありますね。

 名品も多く残っています。

 じっくりと、鑑賞してみたいですね。

 参考になれば嬉しいです。

 次回は、茶の湯の花入れです。

 最後まで見ていただきありがとうございました

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