志戸呂焼とは何

焼物の歴史(90)

 こんにちは、けいみるるです。

 今回は志戸呂焼とは何についてです。

黒褐色や茶褐色と濃緑色の深みのある色合いが輝いていますね。

 

志戸呂焼とは

褐色や黒釉を使った素朴な釉調が特徴です。

鉄分の多く堅く焼き上がります。

 

*北陸地方

静岡県島田市金谷です。

 かつては静岡県の榛原郡(はいばらぐん)にあった町です。

志戸呂焼とは何について書いていきます。

志戸呂焼(しとろやき)の見るポイントは

 金谷地域で取れる良質な粘土と、釉薬を使っています。

 黒褐色茶褐色濃緑色の、深みのある色合が特徴です。

 粘土は鉄分の多い土です。

 茶褐色の地肌に黄色味をおびた渋味のあるものと、深みのある、あめ釉です。

 丹石(にいし)と呼ばれる鉄分を多く含む、赤い土が使われているのも大きな特徴を持っています。

 

志戸呂焼の歴史は

 歴史は古く1521年、室町時代後期では、足利氏の大永時代に瀬戸の陶師が創めた古瀬戸系施釉陶器が起源とされています。

 遠州七窯の一つとされています。

 茶人・小堀遠州が好んだとされる国焼きの7つの窯です。

 1854年に志戸呂焼・上野焼・朝日焼・膳所焼・高取焼・古曾部焼・赤膚焼と、田内梅軒の陶器考に記されていたのが始まりです。

 江戸幕府成立以前から徳川家の御用窯として名声を得ていました。

 家康がこの地に瀬戸焼の祖後裔を呼んで開窯させてい、手厚く庇護(ひご)したと伝えられています。

 

志戸呂焼の特徴・魅力は

 鉄分が多い陶土を使うため、茶褐色や黒褐色の素地が出来上がり、装飾にあめ釉や、黒釉濃緑色の志戸呂釉が施されているのが特徴です。

 硬く湿気を寄せ付けない性質があります。

 茶器を中心に作られていました。

  志戸呂焼の特徴は七度焼です。

 七度焼とは景延が七度も焼いた名品からでたものです。

 壺に耳を近づけると壺が鳴いているような音が伝わってくるといわれています。

 

志都呂焼の土

金谷地方で採れる陶土を使っています。

鉄分が多いです。

茶褐色の地肌に黄色みをおびた渋味のあるものと、深みのあるあめ釉がります。

志都呂焼の釉薬

地元で取れる丹石にいしといわれる鉄分が多く含んでいる赤い石が使われています。

 15世紀後半では、鉄釉・灰釉により天目茶碗や、水注などが焼かれて栄えました。

 16世紀では、筒茶碗や、徳利・香炉・小皿などが作られました。

 17世紀前半から明治時代では、黒釉を使い、壺・かめ・碗・皿などが作られました。

 

 志戸呂焼の今は

 毎年4月には志戸呂焼のイベントが開催されています。

 志戸呂焼を知ってもらうためのイベントがあります。

 

 現在の窯元は6軒が残っています。

 静岡の伝統工芸品に指定されています。

 

以上が、志戸呂焼とは何でした。


 まとめ

 志戸呂焼は、褐色黒釉を使った素朴な釉調が特徴です。

 鉄分が多くて堅く焼けるため、茶壺に最適とされています。

 粘土は鉄分が多く含まれるているので、茶褐色の地肌に黄色味をおびた渋味のあるものと、深みのあるあめ釉があります。

 茶人・小堀遠州に好まれていました。

 遠州七窯の一つにも数えられます。

 

 ここを訪れた際は、歴史が古くある焼物に触れてみてはいかがでしょうか。

 散策の参考になれば嬉しいです。

 最後まで見ていただきありがとうございます。

 次回は、赤膚焼とは何です。 

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