ヨーロッパの陶磁器・2

世界の焼物(7)

こんにちは、けいみるるです。

 今回もヨーロッパの陶磁器・2についてです。

 

マイセン

マイセンとは

 ドイツのザクセン州マイセン地方で生産されているブランドの磁器です。

「マイセンブルー」が特徴です。

 交差した2本に剣「クロスロード」の窯印が施されています。

ウェッジウッド

ウェッジウッドとは

 イギリスのブランドの陶磁器です。

 王室御用達ブランドとして知られています。

 

 ヨーロッパの陶磁器・2について書いていきます。

 ヨーロッパの陶磁器

 マイセン焼きが有名ですね。

 場所は現在のドイツのドレスデンに、本拠を構えていました。

 神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯であり、アウグスト強王と呼ばれた王でした。

 

 当時のヨーロッパでは、最も有力な王でした。

 王がベネガーという陶工に指示をして、東洋の磁器を複製することを、命じました。

 1709年には、硬質の白色磁器が完成しました。

 

 マイセン窯の作品はヨーロッパ全土を魅了し、最も優れた窯といわれました。

 マイセンマークは、剣を交差させたもので、時代によって模様に変化がみられました。

 

 コバルトブルーのマイセンの窯印の双剣は1722年に認められました。

 窯印は、シュウ”ェルターと呼ばれる窯印を描くことを専門に、絵付師が一点ずつ丁寧に手描きをされています。 

 1719年にベドガーが亡くなります。

 

 1720年に引き継いだのが、絵付師のヘロルトです。

 ヘロルトは伊万里焼を研究し、色絵磁器の技法を習得します。

 柿右衛門様式の色絵磁器を忠実に写したものが、パリ郊外のシャンティーイ窯です。

 柿右衛門様式の色絵磁器を忠実に写したにが、パリ郊外にあるシャンテーイ窯ですが、すでに1725年には、柿右衛門様式を移し始めていました。

 遅れること数年、パリより50km離れたところに窯がありました。

 パリの市中に築く気運が、ディボアという陶工によって行われています。

 

 国営の王立磁器窯として国からの、資金援助を得て発展しました。

 バンセンヌ窯となり産業として確立して、着目したのが、ルイ15世の愛妾だったポンパトール侯爵婦人です。

 ベルサイユ宮殿に近いセーブルに窯を移転させます。

 1757年にセーブル焼きが生まれました。

 ポンパドールピンクと呼ばれる紅色の上絵の具と、ラピスラズリの色を連想させる、ラピスブルーがあります。

 この色合に金彩が加わって、独特の華やかな色がでます。

 イギリスでも柿右衛門様式の色絵磁器を移す窯がおこります。

 チェルシー窯や、ボー窯、ダービー窯と各地の窯が手掛けています。

 

 新たに焼物を、作り出した人物が現れます。

 「英国陶工の父」ジョサイア・ウェッジウッドです。

 ウェジウットとはイギリスの伝統的な食器ブランドの一つです。

 

 東洋の影響を受けない、独創的な焼物を作りました。

 1763年に完成したのが、古くからイギリスに伝わる鉛釉を使って仕上げた、クリーム色の硬質磁器の、クリームウィアです。

 

 1774年には藍で素地の肌を染めてそこに白いレリーフで、カメオのような薄い浮き削りを付けて焼きました。

 碧玉(へきじょく)のようなジャスパーウェアを編み出します。

 そして一世を風靡しました。

 東洋の磁器に学んだヨーロッパの高級製陶事業は、セーブル窯、ウェッジウッド窯などの活躍によって、ヨーロッパ独自の高級磁器になり発展してきました。 

 

以上が、ヨーロッパの陶磁器・2でした。

まとめ

日本の柿右衛門様式の影響がとても大きい事がわかりますね。

マイセンやウェッジウットは、聞いたことがあります。

写真でしか見たことはありませんが、まるで絵画のようですね。

絵のタッチが素晴らしいです。

本物の磁器を見ていたいですね。

参考になれば嬉しいです。

最後まで見ていただきありがとうございます。 

次回は、中国の陶磁器とはどのような焼物かです。

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