こんにちは、けいみるるです。
今回はヨーロッパの陶磁器・1についてです。
ヨーロッパのマヨリカ焼
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マヨリカ焼とは、
イタリアの錫釉陶器でルネサンス期に発祥しました。
歴史上の光景・伝説的の光景を描いた焼物が多いのが特徴です。
ヨーロッパの陶磁器について書いていきます。
世界編
ヨーロッパの陶磁器は7世紀の唐時代にマルコポーロが、中国から小さい白色の花瓶を持ち帰ったのが始まりです。
13世紀にはイスラム文化に入っていたスペインはイスラムの、陶器の技術が使われました。
特にバレンシア地方中心に錫釉(すずぐすり)をベースに、ラスター彩陶器が人気を博しました。
大きなお皿や、大きな壺などが今日まで伝わっています。
この焼物は素地が錫釉です。
その錫釉の技術を使ったイスパノ・モレスクという焼物が、スペインのマホルカ島に由来するマヨリカ焼きです。
マヨルカ焼きとはどんな焼物でしょうか。
マヨルカ島経由でイタリアに輸出されました。
イタリアに、13〜14世紀には、焼物の施釉陶器を焼く窯場を一挙に定着させる働きをしました。
各種の金属顔料を錫釉の上にのせて焼き付けて釉薬の中に、沈め込んで色絵表現を可能にしたのがファエンツァを中心とした、窯で焼かれるマヨリカ焼きです。
15世紀には、オスマン・トルコのもとで中国陶磁模倣の動きがあり、元時代やちょう時代の染付磁器を元に、白化粧、下地染付陶磁が、トルコのイズニークという所で始まりました。
16世紀には、様式がトルコ化していきます。
各種の下絵の具を加味した、鮮やかな中に澄んだ独特のトルコ陶器ができあがりました。
16世紀後半には、国運が上り坂に差し掛かっていた、オランダに導入されました。
オランダでは、デルフトを中心とした窯場で錫釉の染付磁器が、大量に焼かれることになりました。
デルフト焼きとは、どんな焼物なのでしょうか。
赤土の胎土を1000℃前後で素焼きにします。
鉛よ錫を利用した釉薬を素地に掛けます。
上絵付けを各種の顔料で行い、クワルトと呼ぶ透明釉をかけて1100℃位で焼成するという、一歩進んだ技法を使っています。
素地は柔らかいのですが、中国陶磁の染付に近づく染付陶器を完成していきます。
デルフト染付に刺激をうけたのが、1602年のオランダ海軍に、拿捕されたポルトガルの軍艦に積まれていた中国陶磁でした。
始めてみたオランダ人は中国磁器に魅了されました。
デルフト窯がすぐに応用して、大作を作りました。
上絵付けがされたのが1680〜90年でのことでした。
中国の磁器ははもちろんのこと日本にある伊万里焼も、大きく影響されました。
以上が、ヨーロッパの陶磁器とは・1でした。
まとめ
ヨーロッパでも、中国陶器や日本の伊万里焼の影響をうけていたんですね。
色んな試行錯誤があって、今日のヨーロッパの陶磁器が、出来上がったんですね。
マヨリカ焼きや、デルフト焼きというのが始まりなのですね。
いつか、本場の焼物をみたいですね。
参考になれば嬉しいです。
最後まで見ていただきありがとうございます。
次回は、ヨーロッパの陶磁器・2です。
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