東南アジアの焼物とはどんな焼物か

 こんにちは、けいみるるです。

 今回は、東南アジアの焼物とはどんな焼物かについてです。

ベトナムの焼物 

インドネシアの焼物

東南アジアの焼物とは、

 タイ・ベトナム・クメール・インドネシアなどの国々で作られた陶磁器です。

 中国陶磁器の影響を受けています。

 貿易を通じて日本にもたらされました。

 東南アジアの焼物とはどんな焼物かを書いていきます。

 東南アジアでは

 東南アジア諸国・インドネシアを含めて最も普及していた焼物は、赤焼の土器です。

 この土器を日本の茶人たちが15世紀〜16世紀以来愛好しています。

 茶道具に利用していました。

 

 ハンネラと呼ばれていて、水指・水指のふたや懐石料理類によく利用されています。

 この焼締めの赤焼土器の流れとは違う、施釉陶磁器の流れが東南アジアにはありました。

 

 9世紀のクメール文化時代であります。

 この時期には中国の磁器が世界輸出を始めていて、各地に新しい焼物を生むきっかけを与えていました。

 クメール帝国が施釉陶磁を開発していきました。

 黒釉に特徴があります。

 

 9世紀〜14世紀に至る長い歴史があります。

 15世紀にはタイに中心が移り、ロッブリという都市が中心になり最終光芒を放ちました。

 クメール帝国では灰釉陶器が焼かれています。

 あまり発展にはいたりませんでした。

 

 12世紀べトナムでは、陳朝という王朝のもとで、中国の白磁、青磁をモデルとして白釉・緑釉陶器が焼かれています。

 

 14世紀後半には、元時代の景徳鎮の染付陶器が、焼かれ始めます。

 これをモデルにバッチ窯を始めとして、ハニイ・ハイフォン・その中間地域で、染付陶器が焼かれ始めています。

 

 それを安南染付といいます。

 安南染付は半磁胎に白化粧したところに特徴があります。

 盤(平らな板)・壺が焼かれて、日本に向けて輸出されました。

 日本では茶道具としてつかわれています。

 荒れて作風のものを絞り手、またはとんぼ手と呼んで高く評価しました。

 

 15世紀には絵付磁器も開発が進んでいて、安南赤絵の名で日本で親しまれています。

 出土する事例は、ほとんどがインドネシアが多いようです。

 輸出が多いことがわかりますね。

 

 14世紀〜15世紀にかけて、タイ各地では新たに施釉陶器の、開発が進んでいました。

 カロン窯という北部タイの窯が先駆けとなって、シーサッチャナーライ市にあるスワンカローク窯や、その近傍のスコータイ窯で白化粧下地の鉄絵陶器や、青磁が中国の技術導入されて焼造されました。

 

 ローカル化してひなびた独特の味わいのある様式に染め上げられました。

 これを「スンコロク」と日本人は呼んでいました。

 スワンカローク窯の名をもじっています。

 実際には、シーサッチャナー市で焼かれていました。

 

以上が、東南アジアの焼物とはどんな焼物かでした。

 

まとめ

 東南アジアにおける施釉陶器の流れはクメール陶器に、始まり東南アジア全体に広がっていったんですね。

 日本との関わりがあるようですね。

 茶の道具に使われていましたね。

 愛好家が多いようです。

 そして、中国の影響も受けたことで、発展したんですね。

 焼物は人を虜にしてしまうほど、魅力があります。

 参考になれば嬉しいです。

 最後まで見ていただきありがとうございます

 次回は、唐津焼とは何です。

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