中国の陶磁器とはどんな焼物か

世界の焼物(6)

 こんにちは、けいみるるです。

 今回は、中国の陶磁器とはどんな焼物かについてです。

 中国の陶磁器の壺

 迫力のある龍が特徴的ですね。

 青い色が目を惹きます。

中国の陶磁器とは

 新石器時代から清代に至る中国の陶磁工芸の流れ技法を概観がいかんしています。

 1万年以上の歴史があります。

 中国の陶磁器でかかせないのが、「白磁」「青磁」「黒釉磁」です。

 歴史が古いことで貴重価値の高い作品が多い中国陶磁器です。

 

 中国の陶磁器の歴史・種類とは?

 中国ではどんな焼物があるのでしょうか?

 中国の陶磁器は産業と美術活動でした。

 中国の陶磁器について詳しく書いきます。

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中国の焼物の歴史は

 中国の陶芸は、古い起源と長い伝統を持っています。

 技術面・豊富な種類・完璧なまでの造形美、あらゆる面で世界に冠絶されています。

 世界中が中国の陶磁器の影響をうけています。

 

 鉛釉を使った華やかな釉薬づくりが、紀元前5世紀頃に生まれました。

 鉛釉の発明は鉛ガラスを釉薬に、転用したことに興ると推測されます。

 前漢時代に、紀元前1世紀あたりから急速に発展します。

 後漢時代には紀元1〜2世紀になると銅呈色の緑釉と同じく、鉛系の黄釉・褐釉が現れます。

 

 褐釉は鉛に鉄を使って黄褐色に染めてものです。

 この緑と褐釉と、2色の釉薬を染め分ける手法が認められます。

 

 三彩の初期的なものです。

 これは一般的には三彩とは呼ばれていません。

 三彩と呼ばれる技法は素地が純白であること、色釉のうちの緑釉・褐釉あるいは、コバルトを入れた藍釉を掛け分けた上に、更に釉薬を掛けたものを言います。

 

 中国・唐のけいしゅう窯・ようしゅう窯・きょうけん窯の、唐三彩の特色です。

 透明釉は三彩の必須ではありませんが、素地肌が白いことは1番のポイントです。

 素地が白くなくて若干鼠色をしているものは白化粧を施釉することうを、唐三彩は盛んに行っていました。

 

 実用性の乏しい鉛釉の唐三彩は主に墳墓の明器として作られ多種多様な、品物や彫塑像が墓に埋められました。

 実用性は不明ですが、一部が海外に輸出され、韓国の慶州市、日本各地、さらにはエジプトのフスタート遺跡からも唐三彩が出土しています。

 

 三彩の影響下に、朝鮮では新羅三彩、日本では奈良三彩イスラム三彩が生まれました。

 中国陶器が世界に進出する最初の役割を、果たしたことがこの三彩ということです。

 775年唐の時代には、安録山の反乱により内容が変わっていきます。

 それまでは貴族の墳墓を飾っていた三彩ですが、量産化されて大衆性をもった、実用の三彩へと変わっていきました。

 

 それから宋の時代には11世紀〜12世紀を経て、中国は遼の領域で再び騎馬民族の国家が支配しますが遼の領域で再び明器として、活躍にたのが東北部遼三彩です。

 宋時代の宋三彩も特徴的です。

 

 元時代〜明時代へと、時代へて連綿と三彩は続いていきます。

 この中で異色な三彩が、法花と言います。

 流れやすい鉛釉を文様表現に使うために考案されました。

 

 絞り出し技法で粘土の盛り上がった細い線を引いて文様とし、その立体的な線に仕切られた内側に、色釉を埋めていく技法です。

法は境界線という意味です。

 境界線をもった花(文様の意味)文様が境界線に現れるという意味の、法花という文字を中国人はこの手法に当てています。

 この法花の技法を様々な窯に色の釉薬を素地に直接掛け分けて彩る、技法として広がりました。

 

 4000年前に始まる自然釉から灰釉の人口施磁と、青磁が生まれるまでに2000年かかりました。

 後漢時代の1世紀から2世紀のことです。

 浙江省せっこうしょうえつの国の、地方で青磁が生まれると同時期に、青銅器文化からの支配から離れて新しい造形美が形成されました。

 その窯を越州窯えっしゅうかまといいます。

 

 北斉時代6世紀後半には、華化の地方に華南系の陶技が入ってくると、華南の青磁、具体的には越州窯の青磁の技術を利用しながら画期的な白磁が完成します。

 素地を純白にするために、白素地を探し出しました。

 透明釉を作り出します。

 

 青磁は釉中に鉄分が還元焼成によって青くなります。

 白焼物のためには、鉄分をほとんど含まない灰釉を考えることが使命でした。

 白素地と鉄分を含まない透明釉です。

 この組み合わせが、初めての白磁が生まれました。

 

 570年代には北斉時代には白磁が確認できます。

 白素地には透明の鉛釉を掛けて一部に緑釉をたらし込んだりする技法が、三彩風の技術なども生まれました。

 紀元2世紀では、中国華南の越州窯系の窯で黒い釉の焼物の黒釉磁がつくられました。

 青磁の釉で鉄分を強く釉に打つことによって、黒く窯変することに気づきました。

 新たに考案されたものです。

 

 4世紀には、東晋時代に艶のある黒釉磁を作る窯、浙江省せっこうしょうの、徳清窯とくせいよう余杭窯よこうようなどが生まれました。

 黒釉磁は地味な存在ですが表向きは美しいとの、評判を受けませんでしたが、これに注目した文化人が茶人たちです。

 

 10世紀の五代王朝下では、黒釉磁の碗を高く評価する動きが起こりました。

 これが黒釉磁の地位は高まります。

 元々黒釉の器は、日常食器として大衆性のあるものが、茶という美意識世界の中で地位を上げていきます。

 

景徳鎮の技法

 起源は、漢時代にまで遡ります。

 江西省で焼かれた焼物です。

 白磁にコバルトを使って絵を描いた「青花磁器」が一般的です。

 北宋時代では、恵まれた原料を生かして俗に影青いんちんと呼ばれる青白磁を量産しその名を高めました。

 製陶地として世界的に有名です。

 

 以上が、中国の陶磁器とはどんな焼物でした。


 まとめ

 中国の焼物は三彩や青磁と白磁と黒釉磁が有名です。

 見ていると、癒やされます。

 色とりどりの絵付けの細かさに魅了されますね。

 

 中国の焼物は、日本だけでなく世界中に影響を与えました。

 時代の中で常に特徴的な陶磁器が、たくさん作られました。

 そんなたくさんの陶磁器が今でも、みられるのはうれしいですね。

 

 これからも、未来に残してほしいです。

 いろいろな陶磁器をみていると、色々知りたくなります。

 参考になればうれしいです。

 最後まで見ていただきありがとうございました。

 次回は、台湾の焼物はどんな焼物かです。

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