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こんにちは、けいみるるです。
今回は、ヤマトタケルという人は・中目黒八幡神社を散策についてです。
ヤマトタケル
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ヤマトタケルとは
記紀による伝説的な古代の英雄です。
古事記・日本書紀に登場します。
神話の中でも有名な人物、景行天皇の息子です。
伝説が全国各地で残っています。
その一方、謎多き存在でもあります。
中目黒八幡神社とは
目黒八幡神社は
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創建年代は不詳です。
新編武蔵風土記に中目黒鎮守八幡宮とあります。
御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)を、主祭神として天照大神を合祀しています。
関東のパワースポットのひとつです。
ヤマトタケルという人は・目黒八幡神社を散策について書きます。
ヤマトタケルの歴史は
兄がいます。
兄を素手で引き裂くほどの体格がよかったとか、美少女に化けてみたりもします。
「日本書紀」では父である天皇に仕える忠実な、軍人として描かれています。
「古事記」では、父に疎まれる悲劇の英雄として、描かれています。
当時のヲウスをまだ髪を額で結ぶ少年で、15.6歳であったとされます。
幼いともいえる年齢で当時最強の敵対勢力だった、熊襲討伐に派遣された非情さを、表しています。
おばのヤマトヒメはヲウスに、自らの衣をはなむけに与えました。
天照の鎮座地を探したヤマトヒメの衣に大いなる、霊力が備わっていたと思われます。
熊襲の首領はクマソタケルを名乗る兄弟でしたが、館は三重に警護されていて容易に入れませんでした。
ヲウスは新築祝いの宴会に紛れ込もうとしておばの衣を着て、宴女の列にもぐりこみました。
ヤマトヒメの衣のお霊力のおかげでバレることはなく、宴会のどさくさに紛れて兄のクマソタケルの胸をひと突きし、更には弟のクマソタケルも突き刺した。
その時、言葉を掛けられます。
「大和には我々よりも強いものがいたのですね。
そこで名を奉りましょう、今からヤマトタケルと名乗りなさい」そう言い終わると、ヲウスはクマソタケルを引き裂きました。
そうして、ヲウスはヤマトタケルになりました。
帰還しの途中でも朝廷に従わない山や河、海峡の神などを、従わせ出雲のイズモタケルも計略を用い倒します。
帰還したヤマトタケルに天皇は、東方の帰順しない12国の神や、人間を平定してまいれと言いました。
ヤマトタケルの死
甲斐国をを通り、信濃国の神を帰順させてやっと尾張国に戻った、ヤマトタケルは約束したミヤズヒメと結婚しました。
それから伊服吹山の神退治に行くことになりました。
自分の強さに、山の神ぐらい素手で倒せると、草薙の剣をミヤズヒメの所に置いて、でかけていきました。
山に登ると牛ほどの大きさのイノシシが姿を現します。
山の神の使いと思い相手にしませんでした。
実はこのイノシシこそが、伊服吹山の神でした。
その正体も見抜けなかったばかりか間違った言挙げ(ことあげ)を、したことにより祟りを招くことになってしまいました。
山の神が降らせた氷雨にあい道を見失い退治するどころではなくなり、体力を奪われて病み衰えてしまいます。
山を降りても体は弱りはてていき杖衝坂まできたときには、杖に頼らないと歩けないほどでした。
見え村では、足が三重で曲がってしまったように、疲れたといいます。
最後は、歌を詠んだ末に、この世をさりました。
伝承では羽曵野市の白鳥陵古墳が、白鳥の御陵だといいます。
大阪堺市の大鳥居大社もヤマトタケルの霊が、降りたった地と伝えられています。
まとめ
ヤマトタケルの生涯は戦いに明け暮れる人生だったんですね。
父の命令には逆らえませんね。
どの時代でも、親子の関係は難しいですね。
どんな戦いでも帰還できたのは女性の力が支えとなって、乗り越えていくことができたのです。
どの時代も、女性の力は強いです。
ヤマトタケルの魂は白鳥になったんですね。
最後は哀しい結末ですね。
中目黒八幡神社とは
アクセス
東急東横線・東京メトロ日比谷「中目黒駅」から徒歩7分
東京都目黒区中目黒にあります。
創建は不明です。
新編武蔵風土記には「中目黒鎮守八幡宮」とあります。
江戸幕府が源氏の守護神である八幡信仰により、農民との融和団結を深めるため農民に八幡神社の、建設を奨励した寛文年間の創建ではないかという説があります。
主祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
ご利益は
開運・交通安全・商売繁盛・学業成就などです。
見どころは
樹木が茂る境内はとても静かです。
神社好きの間では、良縁に効くと話題の境内社、三峯神社です。
本殿左奥に祀られています。
他にも、様々な石が祀られています。
石は石灰岩がとけて、地下の小石とともに岩となったものです。
湧き水もでています。
湧き水には良い気が集まるパワースポットとしても、知られています。
都会なのに、とても落ち着いた空間です。
御朱印は
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初穂料は500円です。
種類はここでも多数ありますね。
季節によって違いがあるようです。
また、訪れたいです。
*参拝される際は、ルール・マナーを守りましょう。
最後まで見ていただきありがとうございます。
次回は、日光東照宮です。
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