神道とは・熊野神社を散策 

御朱印・神社(24)

 

こんにちは、けいみるるです。

 今回は、神道とは熊野神社を散策についてです。

神道とは

 神道とは日本民族信仰として、伝えられてきた道です。

 教祖を持たない自然発生的宗教です。

 日本人の間で行われている民族宗教です。

 

 神道とは、万物に神が宿るという考え方です。

 神道の理念は鎮守の自然を守り、自然と人間が共に生きていくことです。

 神道の主は天照大御神(あまてらす)です。

熊野神社とは

熊野神社

 鎌倉時代以前に創建と伝えられています。

 和歌山県の熊野本宮大社那智熊野神社から分祀しれた神社です。

 パワースポットとしても有名です。

 自由が丘の鎮守の神様谷畑(やばた)の権現様として親しまれています。

 

 神道とは・熊野神社を散策について書いていきます。 

神道の歴史は

 神道は内外新旧様々な要素が、入り混じって成立しています。

 神道の起源や成立の事情を探るには、遺跡や遺物だけではありません。

 

 日本の神話を知る上で重要なのは、

「古事記」「日本書紀」「風土記」と祝詞です。

 「古事記」「日本書紀」神道の聖典ともいえるものがありますが、宗教書としては編纂されたものではありません。

 

 いずれも歴史書として編まれていますが客観的な歴史書ではなく、天皇が日本を治める神聖な王であることを証明するための歴史です。

 そのため、天地創造神話から語られています。

 これは現存最古の歴史書ですが、最初に作られたものではありません。

  

「帝紀」「旧辞」という書が欽明天皇の御代に編纂されました。

 「日本書紀」は公式の歴史書として編纂されました。

 天武天皇の息子舎人親王です。

 「風土記」の神話は地域で語られていた話に近い形で、記録されています。

 畿内・七道諸国に出された命令に基づいて、編纂されました。

 その根本の目的は地域の支配よりも確実にするための、情報収集であったとされます。

 各地で信仰された神々を大和政権の神々の下に統合することによって、支配はより確実になります。

 

 祝詞も古代の信仰や神話を知る上で、手がかりとなります。

 祝詞とは、斎主が神前で唱える文章の事を言います。

 降臨した神が奉仕する、人々に語りかける言葉です。

 

 神からの上表文、または下文のようなものです。

 天照が天の岩屋に隠れた祭にその前でアメノコヤネが、フトノリトゴトを唱えたのが、祝詞に始まりとされます。

  

御霊と祇園の始まり

 御霊とは強い恨みを持った指令のことです。

 これが、疫病などの災厄を引こ起こさないように祀りを行うことを、御霊信仰と言います。

 

 死霊に対する恐怖は縄文時代でした。

 ですが死霊を神として祀ることは、ありませんでした。

 「古事記」「日本書紀」でも、人の死霊と神は厳然と、区別されています。

 祖霊・祖先神の信仰があったと思われましが、死霊が祖霊になるまで、長い時間が必要でした。

 故人としての記憶がなくなった後でなければなりませんでした。

 

 怨霊は、神のような祟りを起こすものではなかったのです。

 神とし霊との区別の変化がおこったのは、奈良時代からでした。

 

 大規模な災害や疫病が政争で破れ死んだ者の、恨みが祟りだと、信じられるようになったのです。

 この変化は、平安京・平城京という大都市の出現があるといわれています。

 

 都市は人口密度が増すので、疫病の大流行を引き起こしやすくなったからです。

 都会ぐらしで信仰心が薄れていき、伝統的な信仰を、失っていきました。

 

 祇園とは、京都の祭で、始まりは御霊信仰でした。

 祇園祭の主催者は八坂神社です。

 ここは、幕末に現在の社号に改称するまで祇園社、または感神院と呼ばれる神仏併修の宮寺でした。

 

 貞観18年(876)に円如が楽師像などを、安置する堂を建てたことが始まりです。

 その翌年に、都に疫病が蔓延した時に、占いをした所祇園社の牛頭天王の祟りだと分かり、勅使を派遣し祈らせた所、効果が合ったといいます。

 その祭は疫病から守るため、牛頭天王の怒りを沈めるために祇園御霊会が行われていました。

 

 それ以降は、御霊信仰にも変化が見られます。

 10世紀には、最強の御霊ともいわれるかの有名な、菅原道真の怨霊の出現です。

 

 菅原道真は学才によって右大臣にまで出世を成し遂げて、宇多・醍醐天皇に仕えた、秀才ですが藤原時平らの讒言で、太宰府に左遷され失意のうちに憤死しました。

 

 その直後から、干ばつ・疫病・落雷など異変が次々に起こり、時平や皇太子らが相次いで亡くなりました。

 

 この異変を、菅原道真の祟りと考えた朝廷は、名誉回復に務めましたがことは収まりませんでした。

 このため、京都に北野と太宰府の近くで道真の霊を神として、お祀りするようになったのです。

 


まとめ

 人が神以上の力を持っているのが、驚きですね。

 人の恨みつらみとは、恐ろしいですね。

 昔から、人を呪わば穴2つという言葉があります。

 

 *どんなに相手が憎くても人を害すると密かにやったつもりでも、必ず同じ仕打ちに合う返ってくることを覚悟せよということです。

 人を陥れようとても、自分にも悪いことがおこります。

 ですので人は考える動物です、一つ一つの行動に責任を持たないといけませんね。

  

 それでは、過去に行った神社のご紹介です。

 

熊野神社は

 東京都目黒区自由が丘にあります。

アクセス

 東急東横線・東急大井町線・自由が丘駅から徒歩4分

 

 正式名称は「熊野神社」ですが、他にもあるので区別するため「自由が丘熊野神社」と、称されることが多いです。

主祭神

・速玉之男尊(はやたまのおのみこと)

・伊弉冉命(いざなみのみこと)

・泉津事解之男尊(よもつことさあかのおのみこと)

 

歴史は、

 熊野信仰は平安時代で、公家・貴族により広まりました。

 鎌倉時代では、庶民の間でも信仰が盛んになりました。

 その次代、信仰の厚いトチの名士達が、西片熊野に赴き、熊野本宮の御神霊を拝受して祀られたと那智熊野参拝の、記録が残されていました。

 

 とても、由緒ある神社です。

 

ご利益は

縁結び・子宝・安産祈願・護身・実り・勝負です。

見どころは

 日本の神様が祀られています。

 願い事全般にご利益があるようです。

 周りは木々に囲まれ社殿まで真っすぐ伸びた道には、3つの鳥居が建てられています。

 社殿と鳥居は朱色で鮮やかです。

 本殿には、ハートの形が隠れているようで、これを見つけると恋愛運がアップすると、

いわれています。

 可愛いお守りがあります。

 クマや招き猫・カエル・ヤタカラスなどがあります。

 

御朱印では

 初穂料500円

 だいぶ前、平成の時です。

 御朱印は、季節により多数あるのかと思います。

 秋に行ったのか、絵柄が紅葉ですね。

 カラフルできれいです。

 また、行ってみたいです。

*参拝の際は、ルールやマナーを守りましょう。

 

最後まで見ていただきありがとうございました。

 次回は、ヤマトタケル・目黒八幡神社です。

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